じゃぱん


北海道はやっと桜が咲き始めるのです。なんか、変な感じだなぁ。フジファブリック表紙のジャパン。メンバーのインタビューが読みたかったなぁと思ったけど、アルバムレコーディングが始まったばかりの今、インタビューをしたところで、志村が死んだことと、それについて思うこと、のインタビューでしかないもんね。少しずつ、楽しみにしてるよ。志村のいないスタジオの写真とか見るとね、うぅーってなるし、寄せられたメッセージには泣かされる。くるり岸田さんの「時代は凄いスピードで過ぎていくように感じるけど、あなたがいなくなってから、もの凄くゆっくりと、しかも凄い力で何かがひっくり返っていくかのような変な感覚のまま、毎日が過ぎていきます」という文章に強く共感するなぁ。「もう5月だよ、早いね」なんて誰かが言って、例年の自分なら「本当、あっというまだね」なんて答えてただろうけど、今の自分は素直にうなずけないんだもん。あれから、あっという間だったようで、やっぱりすごい長かったよ。そういえば、レコーディング風景で総くんがSG弾いてる写真があったけど、あれって志村の?総くんてSG弾いてるイメージ無いんだけど…あんまりそういうの詳しくないのでわからないんだけど。
ゴールデンウィークも今日でおわりですね。この連休中にカウントダウン以来の音楽好きメンバーでドライブに出かけて。で、色々聞きながら熱唱大会してたんですけど、まぁフジファブリックもかけてて。そういう時に、ぐっとくるんだよなー。前にもそんな話したけど…やっぱり、普段こうしてネットで志村についてあーだこーだと話をしていたり、情報を得たり、追悼番組を見たり、過去の映像や音源を聴いてても、フジファブリックと私、でしかないし、変な話、「そんなフジファブリックの物語」の中にいるだけのような気になってるような、感じがあるんですよね。でも、みんなでフジファブリックを聴いて、口ずさんでいる時に、「あぁ、やっぱり現実なんだな、志村、本当に死んじゃったんだなぁ」っていう気持ちになる、というか。みんなでフジを共有した時に、すごく実感させられるんだよなぁ。でも、話していて思ったのが、自分の中でフジファブリックが大切なもの過ぎて、若干ナイーブになっているというか、デリケートになりすぎているというか。自分の中のフジファブリック感、的なものが強くなりすぎてて、ファン以外の人の見解だったり、っていうのを聞きたくないとさえ思ってるところが、あるなぁって。フジファブリックの話をしたいようで、したくないような…うん、意味わからないネ!こんな悲しい思い、外側から見てるだけじゃわかんないからねー(自分も外側ド真ん中にいるという説はおいておくとして)的なスネ夫になっちゃってるのかしら。