おざけんのライブに行きました。
すごかった。熱気というか、お客さんの期待感というか。そういうのが会場内に溢れていて。最初の曲が真っ暗な中で始まるんだけど、闇の中に歓声が響いて、曲が続いていって、どんどん会場が高揚していくのがすごく良くて。そして、その暗闇の中で、まもなく十数年ぶりに彼の姿を観るのであろうお客さんたちがさ、泣いてるんだよね。声聴きながら、泣いてて。手拍子もずれずれになっちゃってるの。それを見てたら、こっちも泣けてくるっていうか。
あぁ、音楽って、聴く人にとって、もう人生の一部なんだな、って。きっとこの音楽や、それにまつわる色んなものが、その人自身を構成してる一部なんだなぁっていうのを強く感じて。その人たちにとって、十数年ぶりに見た大好きな人のライブは、それまで失っていた体のパーツをひとつ取り戻したような感覚なのかもしれないなぁと、思いました。またライブで見られる日がくるかどうかなんてわからなかっただろうし、不安な気持ちも多かっただろうと思うけど、何年経ってでも、そうやってもう一度ステージに立つ姿を観ることが出来ている人たちに正直ちょっと嫉妬もしたかな。
そして、自分にとってのフジファブリックは、やっぱり自分を構成している大切なものの中のひとつなんだなぁとも思って。志村がいなくなって、今って世の中的にやっぱりフジファブリックは注目されてるし、それは自然なことだと思うんだけど、そこに違和感を感じることもあったりして。その気持ちがうまく説明つかなかったんだけど、そういうことかなーって思う。
「そんなフジファブリックの物語」的には、志村を失ったフジファブリックは、大きな悲しみに包まれながらも、残ったメンバーが富士Qの開催を決めて、アルバムも作って、富士Q当日、アルバムリリースを迎えるっていうフィナーレに向かっているんだろうなーって。でも、ファン…というか、私にとってはフジファブリックは現実だし、人生の一部だし、自分の一部なつもりなわけで、まだまだ続いていくもので。だから、「何で今、そんなにみんなで終わりみたいに盛り上がるの??」って思っちゃうのかもしれないなぁと。フジファブリックのファンであるからこそ、これからのフジファブリックに期待してるし、どこかで、志村を諦めているところがあるのかもしれないなぁ。うまく伝わらないかもしれないけど、良い意味で「フジファブリック志村正彦」なだけではないと思えるのは、ファンだからこそだと思ってるというか。志村がいたフジファブリックを再現することは絶対に不可能なわけで、それなら「こんなのフジファブリックじゃねーよ」って言われても、3人の新しい形が新生フジファブリックとして成立して欲しいと、思ってるというか。…うーん、必死過ぎるかなぁ。相変わらずな自分。